私の自己肯定感のはなし
現在大学2回生、自己肯定感が低い私の話をします。
小学生の頃、給食を食べながら「自分が食べているご飯がもったいないとかみんなに思われてないかな・・」と考えていたことを覚えています。
今思えば自意識過剰すぎるし、自己肯定感が低いとかいう以前の問題。
そんな思考になった原因は不明ですが一つ確かなことは、私は小学生のころから自己肯定感が低かった、ということ。
虐められたわけでもなく友達と毎日楽しく過ごしていた小学校生活。
おじいちゃんおばあちゃんがお菓子をいっぱいくれて嬉しかった。
お父さんもお母さんものびのびと生活させてくれた。
こんな幸せな生活に身を置いていて、何故自己肯定感が低いんだ自分。
ていうか小学生なのに、多くて10年ちょいしか生きてないのに自己肯定感低くなるの早くないか。
あ、でもそういえば保育園のころちょっとハブられた時期がありました。といっても一緒に遊ぶ子は三人いたし、親友と呼べる子は一人いました。
、、、今まで気が付きませんでしたが、ハブられた経験が自己肯定感の低さに少なからずというか結構関係している気がしてきました。
幼少期の経験ってすごい。人格の形成にこんなに影響を与えるとは。
今でも何かにつけて私なんて、、と思い行動することを諦めてしまったりなかなか踏み出せないことが多々あります。
自己肯定感の高い人からしたら、やりたいならやればいいじゃんという感じなんだろうな。
自己肯定感についてネットや本を読んでみました。
そこでなるほどと思ったのが、自分の価値を他人の評価で決めないということ。
まさに自分は他人に自分の価値を決めてもらっていました。
前回受けたTOEICで目標だった800点に近い795点を取ることができて、先生や友達、家族から褒めてもらえて自信になったし、周りに認められた気がして自分も自分を認めることができました。
でも最近になって、その点数を取り除いたら自分を認められるものがないことに気が付き不安になってきました。(もちろん795点を取った時からもっと点数のいい人がたくさんいることはわかっていました。)
TOEICという肩書に、それに対する周りの反応から自分の価値を見いだしていたんです。
自己肯定感が高いというのは、何もしなくてもそこに存在するだけの自分を認めてあげられることだそうです。
ハードルが高い、、(笑)
こんなの皆できていないような気もしてきます(笑)みんな何かしらをすることで自分に価値を見出しているんじゃないかな?というかそれが普通?
それはさておき、急にはそこにいるだけの自分を大切に価値あるものに思うことは難しい。
なので、最初はそんな肩書などに頼りながら、できた!をたくさん積み重ねて自分に自信をつけていこうと思います。
そうやって自分のペースで自信をつけていって、最終的には自分に自信をもって生きていきたいなあ。